新聞記事より(大西)
2008.10.31
水になった村
水になった村
10月25日の毎日新聞から
『永六輔その新世界』より。タイトル『ダムはムダ』
本文より抜粋
『「お国の為に」と故郷を捨てさせ「村人の為に」なっていない国家権力。』
『権力と予算を敵に回して過疎の村の無名の老人達が戦っているのをみていると、高齢者医療、年金、障害者自立支援法、みんな重なってくる』
そんな言葉が毎日新聞に書かれてあった.永さんも最近、徳山村に行かれたらしい。
まさにその怒りは、村民だけのものでない。
徳山村を見ていると、ひもでしっかり結ばれた物でなく、ガムテープで止められた物のような、つねに仮の姿であり補強である。ダムは歴史として土着した物でないと思っている。まさにその場しのぎの存在ではないのか。
100年絶えうるダムであるならば、100年後のそのダムの存在も考えるべきである。僕たちだけで終らないからだ。
今の時代を継ぎはぎするしのぎは、ゴミを作るだけである.