大西です
水になった村
最近になって10年分の貯まってしまった仕事に手をつけ始めました。
どうして僕はいつもこういう仕事の仕方なんだろうと後悔しながら気付く。
相変わらず、ダムの村の話しだ。徳山村だけがダムの村ではないのは、みなさんもよくご存知のことでしょうが、相当の数のダムが日本はまだ計画されている段階です。
98年頃から北海道から九州までダム計画地の村を訪ね、今も写真を撮っています。
実は昔、共著で「山里にダムがくる」(山と渓谷社刊)という本を出版したことがあります。
それからずっと同じ事を続けているのですが、いつしかフィルムは徳山村よりもはるかに多く、記録として撮ってきたビデオテープも125本と「水になった村」の記録よりもはるかに多くなっていたのです。さてどこから手を付けようか?
まずはアナログテープをデジタル化するためにダビング作業を始めました。
それは将来的に再生できなくなるかもしれないという恐れからです。
昔の撮った内容を何となく覚えていましたが、ぼーっと見ていたらなんて貴重な記録なんだろうと思いました。
記録というものは、ねかせた時間が面白くさせるということもありますね。
しかしその内容は暮らしてきた場所からまもなく移転しなくてはならない気持ちをしゃべっている内容でした。
北海道夕張市に建設中の夕張シューパロダムに沈む場所に暮らしていた夫婦です。
「とにかく不安、不安。また新しい土地に引っ越してきたら一年生からやり直しなのよ。しかもこの歳になって」
そのご夫婦とは夕張に行ったら,必ず逢うことにしている。
もちろん今は引っ越してあたらしい生活を始め何年にもなるが、やはり故郷を忘れたことなど一日も無いと、よく一緒に昔の場所に行きます。
亡くなってしまった人や引っ越してしまった人や、ダムが完成した土地や、それぞれが時間とともに変わってきました。
なんとか貯金した記録を吐き出さないといけないですね。
頑張ってみます。